さよなら個人開発

この記事はエンジニアと人生コミュニティのAdvent Calendar23日目の記事として書かせていただいています。
 
 
「エンジニアと人生」というコミュニティのアドベントカレンダーなので、せっかくなので私のエンジニア人生の振り返りを書こうと思います。
私の今までのエンジニア人生はいつも個人開発と一緒でした。そんな個人開発の始まりから終わりまでを時系列に沿って書いていこうと思います。

新卒の"駆け出し前エンジニア"(2011年)

ネット業界としてはiPhoneが日本でも販売されて少し経ってiPadの登場や、Androidスマートフォンが登場し始めて、国内でも「Appleからシェアを取っていくぞ!」という雰囲気でしたでしょうか。
私は高専の専攻科(大卒と一緒)を卒業し、ものづくりに関わりたいと思い大手の日系メーカー企業に就職しました。
私ももれなく「これからはスマートフォンの時代だ!」と考えてスマートフォン部門に希望を出したのですが、スマートフォン部門はハードウェア人材しか募集していなかったためPC開発部門に配属されました😇
そこではWindowsOSのカスタマイズや、工場出荷時のPCへドライバを含んだOSのイメージをダウンロードするためのソフトウェアを開発していました。実家の周りは電車も通ってないレベルの田舎から上京して、同期にも先輩にも恵まれ淡々と仕事をこなして行く毎日。
はじめは自分の関わった製品が家電量販店に並んでいるのを見て感動を覚えていたのですが、全ての部門を合わせると2000人ほどで製品を開発しているとどうしても"自分が作った感"が薄くなってしまうため、やりがいを感じられなくなっていきました。

神の国で始まる駆け出しエンジニア(2013年)

特に仕事に対して不満も無く過ごしていたのですが、元々Webサービスやアプリに興味があった気持ちが捨てきれておらず、ベンチャー界隈の話題をよく収集していました。
情報収集はするものの同期と毎日のように飲んだくれていたため、特に自分でなにかを作ることもない、そんな自分に悶々とする毎日でした。
ちょうどそのタイミングで工場出荷用のシステムを作っている兼ね合いで島根工場へ期間限定で出向する話が出てきました。
「このまま東京で同期とワイワイやっているのも楽しいけれど、このままだとなにも始められない。仕事以外の知り合いがいない場所に行けば時間を取ってWebサービスを作る勉強も進むのではないか。」という考えにいたりそのまま承諾し、いざ神の国島根の出雲へ出向することになりました。
無事(?)に希望通り周りは完全に田んぼのみ、最寄りのコンビニまで歩いて30分という勉強にはもってこいなボロい寮に引っ越して、仕事が終わりしだい独学でWebサービスの勉強を開始しました。
🛠️
最初に作ったWebサービスはうろ覚えなんですが、確かVineが登場して流行っていたのでVine APIで猫の動画を収集して見れるだけのサービスを作った気がします。ロリポップのレンタルサーバー&PHPでした。

育休スタート&夫婦でモクモク(2014年)

その後島根期間に妻の妊娠が発覚し、結局出向期間を短くしてもらい東京に戻り、里帰り出産をして妻が東京に戻ってくるタイミングで私も育休を取りました。
子どもが先天性の疾患が発覚し、電車では行きづらい成育医療の専門の病院に通院をすることになったものの、妻は免許がなく通院が難しい事もあり私も育休を取りました。(疾患は成長とともに無事に良くなって今ではなんともありません☺️)
当時は今ほど男性育休はメジャーでなく、大企業で人数がいる会社にも関わらずほとんど事例がなかったのですが、理解のある上司のおかげで特にトラブルなく休暇に入れました。
産休育休期間でブログを始めた妻と一緒に、子どもが寝ている間はお互い二人でPCに向かってカタカタする日々が続きました。
🛠️
当時「ブログを執筆する上でアプリの紹介をもっと楽にしたい」という妻の要望から、iOSとAndroidでまとめたブログパーツを作れるサービスを作りました。未だに運営している歴史の長いサービスです。
その後仕事に復帰はしますが、フルタイム&子どもの面倒を見なければならない状況では個人開発はあまり進みませんでした😞

毎月の自主制作発表会に触発され、面白法人カヤックに転職(2015年)

その後CGMなどを作っては見るものの「独学だけでは限界がある」と感じ、Web系の企業に転職しようと考えるようになりました。
当時Web系の中でもカヤックは「つくっていいとも」という自主制作発表の場を毎月開催していると聞き、ぜひ入社したい!と応募し、そのまま面接を経て内定を頂き無事に入社させていただきました。
 
その発表会の中でも特に面白かったものが載っているサイト↓
 
転職後は憧れの「つくっていいとも」ということもあり、ほぼ毎月の様に何かしら作って発表をしていました。(今振り返ると参加が目的になってしまっていてクオリティが伴っていないものばかりでした。)
 
 
そんなこんなで広告系のクライアントワークをこなしながら2年半ほど経ったころ、いつの間にかブログで生計を立てていた妻が「保育園問題を解決するための一助になるようなサイトを作りたい」というので、それを手伝うために退職し二人で法人しました。
また、Webサービス作るスキルをつけたいという点と広告系の仕事はあまり相性が良くなかったですね。

独立してからは、週3仕事:週2個人開発(2017年)

会社を辞めて半年ほどは、のんびり二人でこの”ほいくびより”を作っていました。
 
これをリリースしてメンテナンスも落ち着いてからは、また個人開発欲が出てきたので、1ヶ月半ほどで"ためしがき"を作りました。
 
リリース後に思ったより反響をいただけて取材をうけたりもしました。↓取材等のまとめ
 
その後は妻はメディア運営、私は請負エンジニアという完全にバラバラで仕事をしていましたがせっかく会社を辞めたので、できる限り個人開発をする時間を取ろうという考えで、週3日以外はあまり仕事を入れないというスタイルで過ごしていました。
その後仕事もしつつ個人開発もしつつ、やはりフルタイム時代に比べるともちろん作れてはいました。とはいえ保育園を毎日送迎しご飯を作りお風呂に入れて寝かしつけをして、と生活に関わる時間は決まっているため、時間が経つほど結局個人開発の進捗にはやはり不満が出てきてしまいました。

個人開発する時間を最大化するには売上が必要(2019年)

生活にかかる時間は減らせない、しかし仕事を辞めると収入が減ってしまうがどうにか仕事の時間を削れる方法を考えていました。
先程のためしがきなど、バズりはしたのですが売上は特に上がっていないこともあり、結局「売上がなければ仕事をやめられないのでいつまで経っても個人開発ができない」ということに気がついてからは売上がちゃんと上がるであろうサービスを作ることを心がけはじめました。
また、カヤック時代はWebフロントだけだったスキルもFirebaseやReact Nativeがある程度使えるレベルになってきたので、作れるものの選択肢が増えていきました。
そうしていくつかサービスを作りながらも自分の中で「ものづくりを支援できるようなサービス」をつくりたいという軸が固まって来たこともあり、バズワードになりたてのNoCodeサービスを作りたいと考えるようになりました。

Anotion開発開始→売上が上がり始めたので仕事を減らす(2020年)

NoCodeサービスを作るぞ〜と思い立ち、はじめはGlideのようなサービスを作り始めましたが複雑すぎて頓挫しました😂笑
コンテンツ管理をするCMSを作りそれを表現するアプリケーションも作るのは大変すぎるということを身を持って経験した事もあって、Notionでコンテンツを管理してそれをWebサイトにするAnotionというサービスを開発し始めました。
2020年の6月に開発開始し10月にローンチし、そこからは徐々に改善を繰り返しユーザーサポートに時間を割きながら、サービスを育ててきました。
少しづつ売上も経ってきて無事に仕事も減らせる兆しがたってきたある日、サービス構想から1年ほどたった7月に振り返りのブログで「どこかの会社さん、買ってくれませんかね〜」と書いたことがきっかけでなんとサービスのユーザーであったけんすうさんからラクスル株式会社の社長を紹介をしてくださることに。

さよなら個人開発(2021年)

そんなご縁もあり、交渉は無事に進んで、ラクスル株式会社が出資している株式会社ペライチならシナジーがありそうということで事業譲渡を行う話が固まりました。
サービスをリリースしてから1年弱、10月からペライチ社のサービスとしてAnotionあらためWraptasのサービスの第2章がスタートしました。同時に私も入社し、個人開発からスタートしたサービスはこのタイミングで個人開発を卒業しました。さよなら個人開発。
 
インターネットサービスに夢を馳せ、Web業界への憧れを抱いたままくすぶっていたあのころの自分。その後も半分冗談でも半分は本気で「Webサービスで一発当てる」と言っていました。
今回の事業譲渡を通して自分も初めて「憧れていたインターネットというものに参加できた」気がしています。本当にほんのりだけど。

これからの自分

「憧れに手が届いてしまった」という気持ちはありつつも、特に遊んで暮らせるようなお金が手に入った訳ではないのでこれからも粛々と働いていきます😤笑
 
あとはもちろん"事業譲渡して自分は手離れする"という選択肢もありましたが、
  • 自分が人生の時間を使って本当に作りたいと思えるものに出会えるタイミングはあまりない
  • 個人でやっていては見えない景色を見たくなった、見れるタイミングが今後あるかわからない
  • 入社してみて、優秀な人と一緒に働ける&働きやすい環境である(これは結果オーライですがw)
などがあるので、引き続き開発を進めていきたいと思います。作りたい機能がまだまだ5万とあるんですよね!今後のWraptasも楽しみにしていてください!
(あとはもう少し落ち着いてきたら、個人開発自体は再開したいと思っています!タイトル詐欺!笑)
 
以上とっても長くなってしまいましたが、私のエンジニア人生の振り返りでした。
オチはありませんが、最後まで読んでくださりありがとうございました。